2000年初め
2000年初め、ネットで洋服なんか売れない。という社内の声があった。新規事業を次々を仕掛けていたワールド社でインターネットビジネスプロジェクトをスタートした。名称はIBP(インターネットビジネスプロジェクト)。社内では、それまでの屋台骨だった卸事業から小売り事業の転換期。OZOC御以降、アンタイトル・インディビなど多くのブランドが立ち上がった数年後であったと記憶している
2001年9月11日
2001年9月11日発売の講談社「FraU」雑誌の挟み込みオリジナルカタログをつくり、通販事業をはじめた。2001年9月11日はアメリカ同時多発テロ事件の日で、麹町の飲み屋でテレビを見ていたこと覚えている。百貨店婦人服の事業部いた同期からは、「ネットで商品掲載したら店舗が売れなくなるじゃないか。」「やめてくれ。」という、批判的な意見。
当時は逆風の中であり、決して社内環境は好意的ではなかった。ECのチームはブランド内ではなく、社内でプロジェクトのメンバーが公募という形で集められた。
プロジェクト(IBPとDMP)
当時のEC事業スタートは、当時公募にて集まったプロジェクトだった。DMP(ダイレクトマーケティングプロジェクト)とい名称。SPA事業で新しいブランドや、販路拡大(イオンモールなど)時期にあり、リアル店舗の出店が事業規模拡大のドライバーだったと思う。こういう出店拡大時期にとネット通販販売事業スタートしたため、在庫を確保は難しい課題であった。ネットで売ると、店舗が売れなくなるという考え方が支配的なため、商品は注文以上に集まらなかった。
コールセンターでは注文したのに、在庫売り切れの連絡とお詫びをせねばならずスタッフからは怒りにも聞こえる反感の声が上がってきていた。そのような声がたくさんあり、お客様からも多くのクレームがあったにも関わらず、商品集めはその後数年にもわたり苦労していた。
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