赤裸々な夜逃げ話

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父と母は若い時に夜逃げをしたという話。

コロナ渦の不自由な時期の会話だったので、とても気持ちが晴れたことを覚えている。父や母の「夜逃げ」に比べたら、いまの不自由なんてなんのなんの。という気持ちに。

姉・兄のLINEでの会話です。勝手に掲載しているから、姉兄に見つかったら怒られるかも。(笑)

夜逃げの定義:Wikipedia

家財道具等を持って決行する夜逃げもあれば、最低限必要な身の回りの物だけを持って決行する夜逃げもある。

多くの一般的な「引越し」の行為とは異なり、引越し先や引っ越すこと自体を周囲には公表せずに行う。その大半は、多重債務に陥った者が「借金が払えない」・「家賃が払えない」といった理由で、債権者の取立てから逃れるために行うものである。そのほか、後述するように様々な社会的な事情が背景に絡んでいることもある。

江戸時代には年貢の取立てが厳しかった事が理由で、生活苦から夜逃げが続出した[1]

三郎さんが志布志に帰らず、大阪で仕事を続けていたら私たちの運命も変わっていたかも!?何て考えたら面白いよね祖父の春美さんが血圧で倒れたのと、勤めていた銀行から和歌山に転勤の指令が出たから、辞めて志布志に戻ったらしいです。

そこらへんの昔話はよく知らないから聞いて欲しいなあ。三郎さんの仕事歴ってそうなっていたっけ?

大阪で消防士になり、一度志布志に帰り、芳子さんと結婚して、八千代さんが生まれ、5か月の時に大阪で仕事をしに来て、石切とか冨雄に住んでいたようだよ。小夜子おばさんもやってきて一緒に住んでいたようだよ。大阪の仕事は銀行員だよ。

消防士⇒銀行員⇒建築業?

へー。消防士は奈良にいた時だっけ?大阪の福徳銀行だっけ?仲の良かった銀行員の人がいた気がするなあ。建築業も志布志時代と福山に来て三菱電機に勤めた後に会社を興してからのことだね。

三菱電機に勤めてたんだ。

確かにそうだよ。志布志から夜逃げして引っ越しした先が福山の深津の二間ぐらいの借家にお母さんと成美さん、俺となぎさと豪がいたと思う。その時はサラリーマンだったはずだよ。やっちゃんは高校の転入で時間がかかって後からだったような気がする。何しろ昔だったらかちょっと違うかも。

夜逃げしたんだ。

あれ。知らないの?

なんかうる覚え。逃げて何とかなる時代なんですね。

俺が小学校4年生。10歳の時だよ。お母さんからどこに引っ越すか誰にも言ってはいけないよ。って言われていた。債権者が追いかけてくるからね。なんとかなったのか、他に迷惑をかけたのかはよくわからんな。

どこに引っ越すか、なんとなく話しそうだけど。小学生だったら。人生なんとかなるものですね。

クラスメートにも言っていないのよ。学校のそばの踏切い見送りに来ていたのを車窓から見て泣いた。

そりゃ泣くわ。ひどい転校。

まだコンビナートが来る前の美しい白浜青松の海岸と豊かな自然で腕白な子供的には幸せだったけどね。片思いの女の子もいたし。

志布志いかないとね。

街は様変わりしているよ。ストリートビューで住んでいた周りを時々みて思いだすんだわ。

僕の伊勢丘ですね。豊かな自然ではありませんが。夜逃げの借家から、立身出世されましたね。

伊勢丘の前の新涯、その前の東深津とよく引っ越ししたね。伊勢丘は僕が高校から三郎さんが亡くなるまでだから10年しか住んでいないんだね。

私自身は夜逃げの記憶がありません。たくましい父と母、そして兄弟姉妹がそばにいてくれて今があると感謝します。

志布志市 · 鹿児島県
福山市 · 広島県

まるでダメだと自分で勝手に思い込んでいる方の発想転換 強みのつくりかた 

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